2008関西支部新人歓迎会

京都祇園は南座の前に控えめな緋鯉。これを目印にあきつ老若男女がぞろぞろと総勢24名集合。現役学生さん4名は、面持ちがやや緊張気味。

「なんで梅雨時6月の曇り空に鯉やねん」。道行く人、南座での観劇を終えたおばさん、おじさん、さらにはカメラをぶら下げた外国人観光客がその集団を怪しげに眺め、カメラに収める。

14時過ぎに、先導は緋鯉、殿は藍の鯉を旗印にいざ出発。祇園花見小路の街並みをぐるりと周回、山村美沙の京都○○殺人事件のロケを思い浮かべながら、北上して白川新橋。日本の伝統建築研究科の矢ケ崎さん(29回卒)の案内と、夜の祇園界隈を永遠のふるさととする富村さん(36回卒)の裏解説とが絶妙で、全く見知らぬ観光客が足を止めて聞き入り、何度もうなずく姿が印象的でした。

知恩院さんの門前から白川の清らかな流れ沿いに三条へあがり、「並河邸」へ。ここは、明治時代に京七宝とよばれる伝統工芸の技術を高めた並河靖之氏の元作業場を残す京町家(http://www8.plala.or.jp/nayspo/)。京都で初めて疎水の水を庭に引いたことでも有名だそうで、車の往来が喧騒な三条通の一本裏道にひっそりと佇む京美術の世界といった雰囲気。

さてさて、ここまで約2時間。喉も渇いてきたかな、という頃合で次に向かったのは、神宮道を疎水一本手前で東に折れた住宅街にある「好日居」(こうじつきょ)。目立つ看板はありませんでしたが、愛らしいキューピーさん達がくりくりと歓迎してくれる「お茶」のお店。矢ケ崎先生の下で研究されていた方(すみません、お名前をお聞きするのを忘れてました)が、ご自身で民家を設計改築されてこの4月に開業したばかりとか。季節もんのお菓子と国宝級のお茶碗でいただいたお抹茶は格別でした。何より、女将(http://kojitsu-kyo.cocolog-nifty.com/blog/o/index.html)が奥ゆかしく、優雅な会話を楽しめそうな雰囲気のお店でした。(ちなみに、キューピーさん達は、御歳90を過ぎたお祖母さんが手芸された洋服と小物をもって個性を主張していました。)

昼の部はここでいったんお開き。タクシー組と地下鉄乗継ぎ組に分かれて懇親会の会場である京都リーガロイヤルへ。京都駅から西に向かう道中で、鯉のぼりをかざす集団に声をかけてきたのが、59回卒の塩原君。街中を鯉のぼり片手にぞろぞろ歩く集団はやはり特別。

 いざ懇親会。総勢41名(3回卒から59回卒)に加えること最年少6ヶ月のあかちゃん(後半は、ホテル貸出しのベビーベッドですやすや。宴の間ずっとおりこうさんでした)。先輩方の中にも今回が初めてという方もおられる一方、49回以降卒の方々が10名も参加。最近の最若手は、44回卒の川人さんだった関西支部の諸行事も、これで参加者平均年齢が一気に下がりそうです。

24回卒の平出さんの司会のもと、支部長挨拶に続き、大先輩である川井さんに乾杯のご発声をいただき、いよいよ宴会スタートォ〜。

お一人2分以内という制限(?)で、自己紹介、近況報告、行事案内を交えてお話いただきました。さすがに大先輩ともなると刻まれた年輪の数だけ話題も豊富。時間超過しそうになると、平出さんがご準備されてきたタイマーが「ピ、ピッ、ピッ!」と。でも先輩のお話を傾聴するのは、深志生の作法。平出さんの「どうぞ、どうぞ」という笑顔に誘われて、いろいろな体験を共有することができました。そんな中、58回卒の福沢さんのお父上が、36回卒の藤森さん、富村さんの生物の先生であったことが判明し、京都大学で今も生物系の研究をされている藤森さんは福沢さんに謝意を込めたご挨拶をされるなど、いろんな方々の間に知己が絡みあう驚きと楽しみも生まれました。53回卒田中さんは、大学院でのご自身の研究テーマに絡む戦後日本の女性の権利、地位向上に関する様々な話題、情報、知見の提供を依頼されていました。こういうちゃっかり屋さんに、是非ご協力ください。

2時間超の宴の締めは校歌斉唱。会場スタッフの方の迷惑そうな顔を横目に強行、とはいえ「信濃の国」も予定されていたのですが、こちらは遠慮。響き渡る「深志城」はいつ聞いてもいいものです。記念撮影の後、二次会。ここにも20名近い方が残られ、より懇親を深めることが出来ました。さらに、○の帝王、富村さんが若手数名他をご自宅に招き、朝までかんぱぁーい、されていた模様です。
 

先日の東京支部の総会は250名規模だったそうです。人数では敵いませんが、親睦と交流の深まりを大切にしていきたく思います。参加者の皆様、是非またご一緒しましょう。今回参加できなかった方々も、次回は是非ご参加ください。若手の皆様、今回の催しに懲りずに、是非ご自身の周辺にいらっしゃる卒業生に声をかけてくださいな。(文責:子林た)